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■バトルとは? 『バトル描写についての考察』 【1次元と3次元】

■バトルの描写についての考察

【1次元 と 3次元】

とあるウェブ小説交流サイトで「バトルの描写についてよくわからない」と言う記述を見た。
それなりに、バトル描写をメインに据えている作品を書く者として、ちょっとした考察コラムをかいてみることにする。

とか難しげに書き始めたけど――

結局のところ答えはシンプル。

つまり――

会話  ⇒ 1次元
バトル ⇒ 3次元

と言う違いがある。突き詰めるとこの視点を抑えておけば、何に注意すればいいのかはすぐに分かるはずなのだ

そもそも、バトルシーンを2次元の映像で描写可能な漫画と異なり、小説はどこまで言っても文章であり、文章は始まりから終わりまでずっと続く1次元の存在だ。

ところが読者はその1次元をただスタートからエンドまで、ただ漫然とトレースしているわけではないのだ。

すなわち読者は――

1次元の存在である“文章”を設計図として、自分の頭のなかの“イメージ”として3次元の存在として再構築しているのだ。

このさい、最初から2次元の画像として読者に映像を提供できる漫画はとてつもなく有利なのは言うまでもない。

この――

1次元 ⇒脳内変換⇒ 3次元
――と言う流れ。

これが文章でバトルを描写する際に最大のハードルとなるのは言うまでもない。

極論すれば、小説における文章とは、読者の脳内に作り上げられるであろう作品映像の3次元イメージ』をつくり上げるための【設計図】にすぎないのだ。

すなわち、小説における“読みやすさ”と言うファクターとは、『3次元イメージ設計図』としての優秀さが問われている面もあるのである。読みにくい文章と言うのは、『イメージ設計図として、3次元イメージを再生しにくいダメな設計図』と言う言い方も出来るのである。

(かなり極端な表現ではあるが)

さて、はじめの、

会話  ⇒ 1次元
バトル ⇒ 3次元

に戻るが――

会話は書きやすいが、バトルは書きにくいと言う現実の問題はここにある。

会話は――、登場人物が1対1の2人組であるなら、二人の人物の間を会話が行ったり来たりするだけなので、モロ1次元だ。

1次元を1次元で書く。

なんとわかりやすい!

しかし、バトルは違う。

二人以上の人物が、3次元空間の中で縦横無尽に動きまわる。この時点で完全に3次元だ。
これを文章と言う1次元に変換し、それを読者の脳内で再び3次元に復元する。

3次元 ⇒ 1次元 ⇒ 3次元

どえらい不効率な無駄っぷりである。

活字嫌いのアンチ小説読者が『漫画で読めばいいじゃん!』とのたまう気持ちが分からなくもない。
(小説書きとしてわかっては行けないのだが)

ここで小説という1次元存在を描き上げるに際して、作者には――

3次元 ⇔ 1次元の相互変換

――と言う極めて高度な能力が求められることとなる。

バトルが書けない。
すなわちそれは『3次元 ⇔ 1次元の相互変換』の能力が、十分に発揮できていない状態なのだ。

この点をクリアできない限り、小説書きとしてはまだまだ努力が必要ということになる。

(とは言え、これを書いてる私もまだまだ発展途上である)

さて、バトル物を書く人の中に、漫画家も小説家も、自分自身が実際に格闘家や軍事経験者など、実際に肉体を駆使してバトルを自分自身で体験していた――と言う実践派も少なくない。

漫画家でも、バトル描写の上手い人の中には、実際に格闘技経験があると言う人が居る。
グラップラー刃牙の板垣恵介さんとか、ホーリーランドの森さんなどがそれだ。
自分自身が戦闘体験があることで、3次元イメージの元となる感覚やセンスが磨かれているのだ。

自分自身で出来なくても、綿密な取材を繰り返して行い、必要な情報やイメージを集めたりすることで補うことは可能であるし、
格闘以外の形態のバトルの場合でも、ベースとなるイメージを自分自身の中でより緻密に正確にしていくことにより、

3次元 ⇔ 1次元の相互変換

を行いやすく文章表現力を高めることは可能なはずなのである。

結論となるアドバイスとしては、

『そのバトルのシーンの3次元イメージを正確にリアルに想像することで、バトル描写を高めることが出来る』

――と言う結論となる。

実際――

拙作グラウザーシリーズでは、バトルシーンの幾つかでは、マップや建造物の構造図の図面を引いたり、
様々な地図や図面と首っ引きで向かい合い、何度も自分の頭のなかのイメージを構築とリテイクを繰り返してから、本文執筆に入っている。

(グラウザーの中で出てくる、南本牧埠頭も、東扇島の湾岸線も、有明1000mビルも、全部地図上で位置関係を何度も確かめてます)

ファンタジーのジャンルでもここまでやってもバチは当たらないはずだ。

実際、ファンタジー物の古典中の古典であるJRRトルーキン先生の書いた『指輪物語』などは、設定の塊みたいなもので、
それらの膨大な設定の下支えが有るからこそ、あれだけのファンタジー世界のイメージが書き上げられたのだ。
そればかりか、その後のファンタジー小説界に半永久的に影響を残すほどの設定影響力は言わずとも判るはずだ。

3次元イメージ想像

これである。
バトルが書けない! と悩んでいる人はまずその点をチェックしてみてはどうだろう?
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[ 2015/11/26 13:00 ] コラム | TB(0) | CM(0)

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